心配から起こる干渉と、信頼から生まれる距離感。
今朝は一気に寒くなりましたね。私は片付けがとっても得意(苦笑)なので、季節が変わるごとに『あれぇ〜?この頃の服ってどこにしまったっけ〜?』となっています😱
毎回分かりやすいようにしまってるつもりなんですけどね〜❁。.:*・゚(∩´︶`∩)゚・*:.。❁
さて、今日はタイトルに書いた記事を見付けたので、ご紹介します。
子どもを育てていると、「これって大丈夫かな?」と心配になることってありますよね。私は良くあるんです。
小学生の息子が未だに忘れ物も多いし、そそっかしいし…と挙げだしたらキリのないほど、心配要素がそこら中に転がっています。
でも、こちらが老婆心ならぬ親心で「明日の学校の準備、早めにしとかなくて良いの?」なーんて言おうもんなら
「今やろうと思っとった!!」と言われるのがオチ…(笑)
更に学校の先生と話す機会があった時、息子の話をされると自分の子育てに何だか指導されているようで心がザワザワザワザワ😂
干渉は、心配に由来するから厄介だ。
あれこれ心配されるのが、心地よいことだとは到底思えない。
要らない干渉をしないでいるということは、ときどき忍耐を強いられることでもあるし、子どものことを信じていないと、できないことに、ようやく気がついてしまった。
この記事を読んで、もう本当にそうだなぁって思いました。親としての責任なのか、単に私の面目を保ちたいのか分からなくなって、一体誰のためにやってるのか?疑問に思うことが私はあるんです。
以前働いていた時に教えて頂いたのが、「発達障害児にしたい保護者もいるからね」という事実でした。
これは、発達障害があるように見せかけたいとか言う訳ではなく、保護者の育児不安の原因を、”子どもの発達障害にある”とみなしたい保護者が居る、という意味だそうです。
そして、「この子が幸せになるように」と見た目では、良い保護者なんだけどその根底には親のプライドであったり、心配を払拭したいという、親のエゴイズムが見え隠れするとか。
私の義母は、常々「良いのよそんなの。この子のペースでやらせれば良いのよ」が口癖でした。(いや、まだ健在ですよ(笑))
でも私は、そんなのとんでもなくて「そんな自由なことさせて何かあったら誰が責任取るの?!」って、それこそ常々(笑)思っていました。
この、「良いのよ〜」の距離感って実はすごく難しくないですか?
【子どもは1人1人、成長する力があるんだから。まずは子どもを信用すること】
と言われても、眉間にしわ寄せて低い声で「あなたのこと信用しているよ〜。ねー。だから、ほんと、お母さんあなたのこと何にも心配してないよ」って、(今は到底そう思えないけど、でも信用している風を装わねば)なーんてしてるうちはまだまだですよね( ≖ᴗ≖)
子どもは鋭いので、すーぐバレてしまう(笑)
真の意味で、【子どもの最善の利益】のため子の成長を信じ、付かず離れずの距離で子育てしていけたらいいなぁと思います。
ヘリコプターペアレントには決してなるまい!!と思いつつ、今度は放任し過ぎて親子で失敗するという😭
未だ子育てを試行錯誤、子どもに育てて貰っている私なのでした。😅
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